私は、小学校教員として約20年勤めてきましたが、2025年3月31日をもって退職しました。
実はその数年前から、「うつ病」による長期の休職期間がありました。
正確には、2022年1月からの3年と少し──。
このブログ「休職日記」では、そんな私が「休職中に感じていたこと」「葛藤の中で気づいたこと」
そして「そこからどう歩んできたか」を綴っています。
今回は、収入が途絶えかけた時に私を支えてくれた「傷病手当金」についての体験をまとめました。
💬最初の3ヶ月は「病気休暇」で給与が全額支給
休職に入ってすぐの3ヶ月間は、「病気休暇」という制度で給与が全額支給されていました。
この期間は経済的な不安は少なかったものの、精神的にはまだまだ余裕がない状態でした。
💬4ヶ月目からは給与が8割に。それでも支えられた
3ヶ月を過ぎると、給与の支給は8割程度に減額されました(※最大1年まで)。
我が家には妻と子どもが2人おり、妻も同じく小学校教員として働いています。
世帯としての収入はなんとか維持できていたものの、
光熱費、子どもの養育費や学費、日々の生活費など、支出は絶え間なく続きました。
💬2年目に入り、収入がゼロに──制度を知らなければ破綻していたかもしれない
2023年に入り、病気休暇による給与支給が終了。
いよいよ「無収入」の状態に突入してしまいました。
このとき、「このままじゃ家計がもたない」と本気で焦りを感じました。
そんな中で勤務校の事務の方から
「傷病手当金」の制度を教えてもらい、急いで手続きを進めることにしました。
💬傷病手当金の申請と受給まで
2023年4月に申請し、支給が始まったのは6月ごろからだったと記憶しています。
申請から実際の受給までには少しタイムラグがありましたが、
支給が始まったときは本当に安心感がありました。
この手続きも、正直自分ひとりでは到底できなかったと思います。
妻や病院の医療事務の方、そして勤務校の事務の方たちに助けてもらいながら、ようやく申請にこぎつけました。
💬1年6ヶ月後──再び迫る「収入ゼロ」の恐怖と、付加金制度の存在
傷病手当金の給付が1年6ヶ月に近づいてくると、
「今度こそ、もう収入がなくなる…」という不安に襲われました。
我が家にはまだ子どもたちがいて、生活費や教育費は日々かかってきます。
このままでは本当に生活が成り立たない。そんな思いで焦っていたところ、
公立学校共済には『傷病手当付加金』という制度があることを知りました。
自動的にこの付加金に切り替わり、私は2025年3月に退職するまでの間も給付を受けることができたのです。
これは大きな救いとなりました。
💬最後に
私は「傷病手当金」という制度を知って、本当に救われました。
そして、付加金制度まで含めて活用できたことで、退職までの時間を穏やかに過ごすことができました。
でも、こうした制度や給付は、自分から調べたり、人に教えてもらわなければなかなか気づけないことが多いと痛感しました。
普段の生活でもそうですが、体調を崩しているときこそ、制度の存在にすら気づけないことが本当に多いのです。
私も当時は、身の回りのことすらままならず、
食べること、風呂に入ること、顔を洗ったり歯を磨くことすらできない日々もありました。
それくらい、心と体のエネルギーが残っていなかったのです。
だからこそ、
もし今、つらい中で不自由な思いをしている方がいたら、どうか焦らず、ゆっくりでいいので、どこかのタイミングで「助けてくれる制度がある」ということだけでも、ふと心に留めていただけたらと思います。
この文章が、少しでも「良い方向」に向かうきっかけになってくれたなら──
それだけで、私は書いた意味があったと思います。
「これまでの記事はこちら👇」
🌱 このシリーズは続きものです。
もしまだお読みでなければ、前回の記事も読んでもらえたら嬉しいです。
- 🌿【休職体験①】うつ病で休職を決めた瞬間
- 🌿【休職体験②】最初の3ヶ月間は「何もできなかった」
- 🌿【休職体験③】4〜6ヶ月目、「動けない自分」と向き合った日々
- 🌿【休職体験④】誰よりも、自分を救うために。──休職して得た大切なもの
- 🌿【休職体験⑤】給与ゼロの不安と傷病手当金──制度を知って救われた日


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