「休職しています・・・。」

ブログ

小学校の教員を約20年勤めています。

が、実は休職して約10ヶ月経ちます。

正確に言うと、病気休暇3ヶ月、休職7ヶ月です。

病気休暇なんかしている自分が、はたして本当に小学校の教員だとか言って、ブログなんか始めて、発信していっていいんだろうか・・・

と迷ってはいたものの、同じように悩み苦しんでいる方がいるかもしれない。自分が発信するブログを見て、

「ここにも同じような思いをしている人がいる。」

と、思ってもらえるだけで、気休めになってもらえたらいいな、と考え直すことにしました。

それと、自分が日々感じていること、知っていること、経験したことなどを発信していくことで、様々な方々と交流できれば素敵だろうな、と考えたこともブログを始めたきっかけです。

休職前の状況・・・暗闇を歩く心境

教員の仕事の大変さも世間のみなさんにも知られるようになりました。

どこまでが業務なのか、その線引きが非常に難しい。

それでも、日々子どもたちの将来のために、歯を食いしばって頑張っている。

どの職業もそうでしょうが、経験を重ねるにつれて、任せられることも増えてくる。

私もここ10年、それなりのキャリアを積み、教務主任と学級担任を兼ねていたこともありました。

このままいけば管理職になるのか・・・という状況でした。

しかし、そこには一切興味も希望も湧かず、常に子どもたちと間近に向き合っていたいと考えていました。

昨年度は2年生の担任をしていました。

他にも校内のいくつかの校務分掌の主任を掛け持ちしていました。

校外での教科研究会の長も務めていました。

目まぐるしく日々が過ぎていってました。

私には子どもが2人います。

妻も同じく小学校の教員をしています。

夫婦どちらかが早く仕事が上がれる時には、子どもたちを放課後児童会に迎えにいってました。

日々のルーティーンと、イレギュラーな事案が発生したときの対応に追われて、なかなかストレス発散できていませんでした。

私の家庭内でのコミュニケーションも不足していたように思います。

いつの間にか自分の体が自分の体ではないような、頭の中にはモヤモヤとしたものがあり、日中なのに、まるで暗闇の中を歩いているような感覚でした。

昨年の12月、いよいよ二学期の終盤を迎えようとしていた時に、

「自分が休んだら、子どもたちが困るし、他の先生方にも迷惑がかかってしまう!」

と、かなり無理をしていたように思います。

なかなか病気休暇に踏み切れませんでした。

病気休暇に入るというのは、かなりハードルの高いものだと自分で認識していました。

もともとメニエール病を患っていたのもあり、目眩と耳鳴りが酷くて、睡眠が取れず、そんな私を見て、心配した妻が仕事を休むように勧めてくれました。

メニエール治療に通院していた耳鼻咽喉科で診断書を書いてもらい、一週間ほど病気休暇を取りました。

二学期末でしたが、お家の方々との個人懇談会は終わっていましたし、成績はほぼ付け終わっていたので、復帰後は無事に終業式を迎えることができました。

そして三学期。

始業式から数日した朝に、とうとう起き上がれなくなりました。

メニエール病の症状だけでなく、心も病んでいたのです。

心療内科に行く

心療内科に行きました。

自分のことを話すことも、辿々しくなっていたので、時間をかけてゆっくりと、それまでの経緯と現状を話しました。

先生の口から出た言葉は・・・

「頑張って来られたのですね。なかなかお認めになれないかもしれませんが、典型的な鬱の症状ですよ。」

思わず涙が溢れそうになりました。

何か救いの手が天から舞い降りたように感じました。

それまでは、ひたすら自分を責めていました。

自分が辛いことから「逃げた」と。

その頃は、休んでいてもどこか後ろめたく、学級の子どもたちや、任されていた仕事を手放すことへの罪悪感がありました。

胸をえぐられるような思いをしながら、全てを手放す覚悟を持って、降りてきた手にすがりました。

年度末までの病気休暇の診断書が出ました。

「やっと休むことができる。休んでもいいんだ・・・。」

病気休暇から休業へ

病休に入ってから、職場とのやりとりは妻にしてもらっていました。

1月の間は、二週間ごとの通院以外、もちろん外に出ることはできず、朝起きてすぐまた寝て、そのまま夕方まで寝ていた時もありました。

2月に入り、職場から妻を通じて連絡が入りました。

4月から復帰できるかどうか。

復帰できないなら、休職するために、二通の診断書が必要とのこと。

かかりつけの心療内科で一通と、教育委員会が指定する医療機関での一通。

その時の身体の感覚としては、とても4月から復帰できなさそうでした。

心療内科で先生と相談し、次年度は休職することに。

さて診断書の期間をどうするか、となり、教員の人事は半年から一年のスパンで動いているのでと伝えると、

「まず半年で診断書を書きましょう。経過を見てもう半年をどうするか考えていきましょう。」

と先生が仰りました。

次の日に、指定された総合病院へ行きました。

初診だったので、午前と午後の両方の診察を受ける必要がありました。

とにかく、虚な感じでしたので、周りには同じような方々がたくさん居られたのでしょうが、ボーッと待合のソファに座って一点を見つめ、周りのことや待ち時間のことは気にならなかったと思います。

それよりも、そこでも診断書を書いてもらって受け取ったことで、また天から救いの手が舞い降りてきたのを感じました。

「もう、これで本当に休んでいいんだ。」

診断書を受け取った手はふるえていました。

2月の半ばの土曜日、妻に付き添ってもらい、職場に行きました。

診断書を提出するだけならば、妻にお願いしたのですが、職員室の自分の机の整理と、学級の教室に置いた私物を、引き取りに行かなければならなかったのです。

他の先生に顔を合わせ辛かったので、土曜日にしてもらいました。

普段は、土曜日も出勤している先生もいましたし、私もよくしていましたが・・・。

身も心も気が進みませんでしたが、妻が寄り添ってくれていたので心強かったです。

管理職に診断書を渡し、現状を伝えましたが、何をどう話したかは覚えていません。

帰りの車の中で、妻に泣きながら、

「ありがとう。」

と言ったのは覚えています。

「やっと・・・本当に、本当に、休んでもいいんだ・・・。」

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