2022年1月から、小学校教員を休職しています。
もともと抱えていたメニエール病に加え、長年積み重なったストレスなどから、うつ病を発症し、仕事に行けなくなりました。
今回の記事では、休職(病気休暇)に入って4〜6ヶ月目に取り組んだこと──
「家事をすること」と「SNSで休職をカミングアウトしたこと」
について、振り返ってみたいと思います。
【家事をする──焦る気持ちと向き合いながら】
4ヶ月目に入った頃から、
「仕事に行けないなら、せめて家事くらいはやらないと……」
そんな焦る気持ちが、ふと湧いてくるようになりました。
ちょうど4月。
学校現場では新年度が始まり、同僚たちは新しいクラスや新しい仕事に向かって進んでいました。
その姿を思い浮かべると、自分だけが取り残されてしまったような、そんな寂しさが込み上げてきました。
でも、気持ちだけが焦ってしまって、実際には家事を何ひとつできない日もありました。
「できるはずなのに、どうして動けないんだろう」
そんな思いに、胸がぎゅっと苦しくなることもありました。
それでも、今振り返ってみると──
焦りや自己嫌悪を感じながらも、きっと私は、少しずつ、心のエネルギーを溜めていたんだと思います。
【SNSを再開──休職していることをカミングアウト】
休職してからしばらく、私はSNSからも距離を置いていました。
何かを書く気力も、誰かに連絡を取る気力も、そのころの私にはほとんど残っていなかったからです。
家族とのやりとりだけで精一杯で、それ以外の世界とは、そっと距離を置いていました。
そんな中、私の誕生日。
SNSに届いたメッセージ通知がきっかけで、久しぶりに自分のページを開いてみました。
そこには、私の状況を知らないまま、変わらぬ笑顔で祝ってくれる人たちの言葉が並んでいました。
「みんな、僕が仕事を休んでいること、知らないんだなぁ……。」
そんな寂しさがこみ上げてきて、気がつくと、メッセージへのお礼と一緒に、休職していることもカミングアウトしていました。
あれは、勢いだったのかもしれません。
孤独に耐えきれなくなって、心の中の何かが、あふれ出した瞬間だったように思います。
その投稿をきっかけに、たくさんの温かい言葉や連絡をもらいました。
- 「心配したよ」
- 「無理しないでね」
- 「ゆっくり休んで」
そのひとつひとつに、心がじんわりとあたたまりました。
「自分は、ひとりぼっちじゃなかったんだ。」
そんなふうに思えたことは、あの頃の私にとって、とても大きな救いでした。
【再び、距離を置く選択】
でも、時間が経つにつれて──
SNSでつながっている人たちの存在が、だんだんと重たく感じるようになっていきました。
職場では、管理職から「私に連絡しないように」という指示が出ていたようで、直接のやりとりはありませんでした。
それでも、画面に映る名前や、過去のやりとりを見るたびに、胸がぎゅっと苦しくなってしまう。
──散歩中に給食センターのトラックを見かけたとき。
──学校のチャイム音が聞こえたとき
何気ない日常の風景の中にも、ふいにしんどさが顔を出していました。
たぶん私は、
「これ以上思い出したくない」
「これ以上苦しくなりたくない」
そんな気持ちで、いっぱいだったんだと思います。
ある日、私はSNSにある仕事関係のアカウントや連絡先を、ひとつ、またひとつと、消していきました。
強い決意があったわけではありません。
ただ、ただ、しんどくて。
これ以上、自分を追い詰めたくなかった。
正直、そのときの細かい気持ちは、もうあまり覚えていません。
今になって思えば、突然アカウントを消してしまったことは、きっと驚かせたり、心配させたりしたんだろうな……と、申し訳なく思う気持ちもあります。
でも、あのときの私には、それしかできなかった。
あのときの自分を、今は、そっと許してあげたいと思っています。
【あとがき】
休職して4〜6ヶ月目。
焦りと孤独の中で、私は私なりに、必死に日々を過ごしていました。
小さな後悔も、たくさんの揺れる気持ちも、すべてがあの時間に、確かに存在していたこと。
そして今──
「休むことも、生きることのひとつなんだ」と、少しずつ思えるようになっています。
もしこの記事を読んで、どこか少しでも心に寄り添うものがあったら嬉しいです。
ぼちぼち、一緒に歩んでいきましょう🌱
「これまでの記事はこちら👇」
🌱 このシリーズは続きものです。
もしまだお読みでなければ、前回の記事も読んでもらえたら嬉しいです。
- 🌿【休職体験①】うつ病で休職を決めた瞬間
- 🌿【休職体験②】最初の3ヶ月間は「何もできなかった」


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