気がつけば、前回のブログを書いてから1年以上が経っていました。最後に投稿したのは2022年11月11日。こうしてまた文章を書こうと思えたのは、自分の中で少しずつ変化を感じているからかもしれません。
今日は春分の日。昼と夜の長さが同じになるこの日は、自然のバランスが整う日と言われています。そんな節目の日に、久しぶりに自分の気持ちを言葉にしてみようと思いました。
休職してからの時間と自然の変化

私は2021年1月にうつ病を発症し、休職することになりました。
そのことについては、以前の記事
でも書きましたが、
当時の私はメンタルの調子の波の高低差がかなりあり、日々を乗り切ることで精一杯なこともありました。
働けなくなった自分を受け入れるのは、とても難しいことでした。それまで「社会の一員」として日々の仕事をこなしていた私にとって、突然その役割がなくなることは、自分の存在意義を見失うことにもつながったからです。
「このまま社会に戻れなかったらどうしよう」
「私は何の価値もない人間になってしまったのではないか」
──そんな不安が頭の中をぐるぐると巡り、休んでいるはずなのに、心はまったく休まりませんでした。
時間が経つにつれ、少しずつ自分を取り戻していきましたが、回復は一直線ではありませんでした。調子の良い日が続いたかと思えば、突然何もできなくなる日もある。そのたびに
「せっかく良くなってきたのに、また戻ってしまった」
と落ち込みました。
でも、ある時ふと
「これは自然の流れと同じなのかもしれない」
と思うようになりました。
冬の間、木々は葉を落とし、じっと耐えています。でも、それは終わりではなく、次の季節に向けた準備の期間。やがて春が来れば、新しい芽を出し、また成長を始めます。
そう考えると、
「今はただ、その時期を過ごしているだけ」
と思えるようになりました。うつ病の回復も、きっとそんなふうに波を繰り返しながら進んでいくものなのだと。
春分の日と心のバランス

春分の日は、昼と夜が同じ長さになる日。この日は、自然のバランスが一瞬だけ整う日でもあります。私はこの「バランス」という言葉について考えました。
うつ病になってから、自分の心のバランスを取ることの難しさを痛感しました。以前は意識しなくても普通にできていたことが、今は簡単にできないこともあります。「元気な自分」と「疲れやすい自分」、「前向きな気持ち」と「不安な気持ち」。どちらか一方だけを選ぼうとすると苦しくなります。でも、どちらも大切な自分なのだと受け入れることで、少しずつ楽になれるのかもしれません。
春分の日は、そんなことを考えるのにぴったりの日だと思います。昼と夜が等しくなるように、私たちの心もまた「良い部分」と「苦しい部分」を両方抱えながら生きている。そして、それでいいのだと。
春の訪れとともに

今日はせっかくの春分の日なので、久しぶりに外を歩いてみました。
冬の間、メンタルが比較的に落ち着いている日でさえ、あまり外に出る気になれなかったです。
最近は、春の訪れを感じたくなってきました。
外に出ると、風が少しだけやわらかくなっていることに気づきました。まだ肌寒さは残っていますが、どこか優しい空気を感じます。道端には小さな花が咲き始めていて、公園の木々も新しい芽をつけ始めていました。自然はゆっくりと、でも確実に春へ向かって変化していました。
歩きながら、
「私は急ぎすぎていたのかもしれない」
と思いました。自分の回復を焦り、
「早く元に戻らなくては」
と考えてしまいがちでした。でも、自然は急がない。ただ、その時々の季節を受け入れながら、少しずつ変化していく。私もそれでいいのかもしれません。
春分の日を迎え、私は「焦らなくてもいい」「自分のペースで少しずつ進めばいい」と改めて思いました。今はまだ春の入口。すぐに満開の桜が咲くわけではないけれど、確実に春はやってきています。それと同じように、私も少しずつ、自分の春を迎える準備をしているのだと思います。
これからのこと

久しぶりにブログを更新してみて、改めて「言葉にすることの大切さ」を感じました。書くことで、自分の気持ちが整理され、前向きになれる気がします。
これからも、無理のないペースでブログを続けていこうと思います。頻繁に更新できるかは分かりませんが、それでも、自分の感じたことや気づきを言葉にしていきたい。
もしこの記事を読んでいる方がいれば、今日という日が「心のバランス」を見つめるきっかけになってくれたなら嬉しいです。そして、外に出て春の気配を感じてみてください。小さな花の蕾や、やわらかな風が、きっと何かをそっと教えてくれるかもしれません。
春は、もうすぐそこまで来ています。


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